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「東日本大震災支援ボランテイア第四陣の活動報告」
(栃木県勤労者山岳連盟主催)

日 程  2011.7.8(金)〜7.10(日) 活動基地 石巻市水沼地区 水沼東部構造改善センター
活動地域 石巻市川北上町橋浦地区(北上川河口から約3Km、北上川北側に広がる水田)
参加者   <第四陣先発班(7月8日〜10日)>
     ・野木山想会(6名)・宇都宮ハイキングクラブ(3名)
  <第四陣バスハイク班(7月9日〜10日)>
     ・マロニエHC(12名)・宇都宮ハイキングクラブ(1名)
   ◆ 計22人(延べ53人)  
投稿者    小池修司、小川昭一、吉岡昌徳 

<概要>
栃木労山「東日本大震災支援ボランテイア第四陣」は、2011年7月8日(金)〜10(日)に石巻市川北上町橋浦地区にて 津波被害を受けた農地(水田)のガレキ撤去作業を行った。

 まず、野木山想会(6名)と宇都宮ハイキングクラブ(3名)からなる先発班(9名:7月8日〜10日)が 7月8日(金)午前8時に石巻市北上町橋浦のJA石巻支店に到着、石巻市ボランティアセンターの松隈氏の案内で 早速、津波被害を受けた農地(水田)のガレキ撤去作業を行う。宿泊地は、石巻市水沼地区のあるJA石巻の 水沼東部構造改善センターである。

 翌7月9日(土)には、東京都連の太田ハイキングクラブ(26名)が、7月9日(土)8時頃にJA石巻支店に 到着し、石巻労山の岡さんの案内でガレキ撤去作業へ向かった。
   少し遅れて8時過ぎに、マロニエハイキングクラブ(12名)と宇都宮ハイキングクラブ(1名)からなる バスハイク班(13名:7月9日〜10日)が合流し、ガレキ撤去作業に参加した。この日の夜には、 水沼東部構造改善センターにて、宮城労山主催の交流夕食会が行われた。
 最終日7月10日(日)は、午前中までガレキ撤去作業を行い、道の駅にて入浴、昼食後無事帰宅した。




<第四陣参加記録>
マロニエハイキングクラブ 小池修司

 7月9日(土)宇都宮市富谷地区市民センターを午前4時に出発し、震災地である石巻市北上町のJA石巻支店に8時過ぎに 到着した。前日現地入りしていた宇都宮ハイキングクラブの吉岡さんと合流し、ボランティアを行う現場へ向う。

 作業現場は北上川河口の北側に面した田んぼ(河口から3キロ程度上流)でした。現地では、前日現地入りしていた 宇都宮ハイキングクラブ(3名)、野木山想会(6名)の皆さんや当日、我々より前に到着していた東京労山の 太田ハイキングクラブ(26名)がボランティアを開始していました。

 一帯は津波で流れ込んだガレキ(家財、車、その他のあらゆる物)が散在していました。地元労山の方々から作業手順を お聞きし、バール・スコップ、ガラ袋、一輪車を携え一列になっていっせいに作業を開始しました。天気は快晴、 真夏の炎天の下でのガレキ撤去作業は、こまめに水分を補給し休憩をとりながら続けられ、午後4時頃終了しました。  それぞれの担当区域では、田んぼのガレキが撤去され、重機による作業が容易な様に道路と田んぼの境界にガレキが 山積みされ、ガレキの山があちこちにできました。

 作業終了後、各会共近くの道の駅にあるお風呂で汗を流し、宿泊地の水沼東部構造改善センターへと向かいました。 ここは山麓に位置していて津波の被害はありませんでした。夕食は、本日一緒にボランティア作業を行った 約50名の方々と地元労山が用意してくださいましたカレーライスやお惣菜を頂きながら、震災に遭われた石巻労山の 会員の生生しいお話や各県連や各クラブ代表の紹介や交流が行われました。

 7月10日(日)食後マイクロバスで前日と同じ場所へ移動、作業を開始しました。ただ、被災した田んぼは広範囲に わたり、我々の作業区域はほんの一部・・・。何かやり切れない気持ちを抱きつつ作業を終えました。  道の駅で入浴後、帰りに石巻港が一望できる高台にある日和田公園に立ち寄り、壊滅状態にある石巻港を遠望して帰路につき、 特に渋滞にあうことなく無事富谷地区市民センター到着しました。

<7月8日>石巻市川北上町橋浦地区の「田んぼ」にて、先着した野木山想会と宇都宮HCの9名によるガレキ撤去ボランティアを行う。

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農地(水田)のガレキ撤去作業  農道際にガレキを集める作業
  
 
 
<7月9日>石巻市川北上町橋浦地区の「田んぼ」にて、総勢50名3班にに別れてガレキ撤去ボランティアを行う。
バスハイク班のガレキ撤去作業開始 ガレキを一輪車に載せて運ぶ
ガレキを一輪車に載せて運ぶ 農道際にガレキを集める作業
先発班のガレキ撤去作業 先発班のガレキ撤去作業
<感想:第四陣に参加して>
マロニエハイキングクラブ会長 小川昭一

 恐らく当クラブ主催としては最初で最後、そして2年半後の20周年記念誌のメ−ン記事にもなるであろう去る 7月9〜10日の被災地ボランティア活動は、今回の大震災で最も死者・行方不明者が多かった宮城県石巻地区 で実施しました。
 「百聞は一見に如かず」の通り、毎日のテレビ報道や先発ボランティア組 から得た情報の世界を、往復のバス車中や同市高台にある日和山公園から、この目で見た大空襲直後の如き、 廃墟化した光景を垣間見て、津波の恐ろしさに改めて唖然としました。

 今回の我々の活動場所は、比較的人家が少ない新・北上川(石巻市街地を流れているのは、上流の柳津で分岐している 旧北上川)の河口から3Km上流の左岸に広がる水田です。津波に呑まれた田んぼの中に埋没している家財道具等あらゆる 有形物を掘り出し、農道際まで運搬するという作業でした。(ここから先は重機を使った作業になるようで、行政等の仕事)
   当クラブは、会員以外のメンバ−の応援も得て総勢13名で対応、 梅雨明け直前の炎天の下、スコップ・バ−ル・一輪車等を用いての1日半、 トラック何台分かに相当する、多くの「がれき物」の処理活動に従事、多大な成果を挙げることが出来ました。

 宿泊場所である「地区構造改善センタ−」では、地元労山の責任者も見え、被害状況や活動の現状等を知ることが出来、 また、参加したクラブ紹介を通じ、他クラブの参加者と交流する機会も得、有意義な2日間でした。

 我々個々のボランティア活動は、想像も出来ない膨大な復旧作業量から見れば、微々たるものかも知れませんが、 こうしたパワ−の継続が累積し、地元へのお手伝い・支援につながるものと確信しました。
 労山会員の皆様の中には、大震災復興のためいろいろな形で支援されている方も多いと聞いております。 こうした中、県連では今後も当分の間、人員が揃い次第このボランティア派遣を予定しておりますので、 希望者は是非手を挙げてくれることを期待します。
 山はいつでも、一人でも登れますが、大震災ボランティアは今、参加する意思と組織・人員が整わないと、 個人では実質行けません。
 
 
 
<7月10日朝>水沼地区にあるJA石巻水沼東部構造改善センター前にて記念撮影


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栃木労山4陣参加者(22名)の皆さん
  
 
  <7月10日>石巻市川北上町橋浦地区の「田んぼ」にて、総勢50名3班にに別れてガレキ撤去ボランティアを行う。
バスハイク班と太田ハイキング班のガレキ撤去作業 バスハイク班のガレキ撤去作業
 
先発班のガレキ撤去作業 先発班のガレキ撤去作業
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