次の日は 栃木の大谷石に似ている室根石で造られた塀の崩れたのを一輪車で運んで片づけた。壊れかけた蔵の中
の品物を全部別な所に運んだ。古いものが沢山あったことにはおどろきであった。
最後の日はオートバイを販売していたお店の品物や自宅の中の品物を分別して袋に入れて県連から持って行った4トン車
で何回も何回も指定されたゴミ収集場に運びました。ゴミ袋を運ぶにも何人もの人が一列に並んで手渡しで運びます。
自宅の人がやっていたら何日もかかり、本当にありがたいと感謝されました。
それにしても思いっきり何でも処分していました、これからどんな所に住むかわからないからと、言ってました。
私達4泊5日組は午前の仕事を終わりにして昼食後、一日も早い復興を願いつつ震災地・気仙沼に別れを告げた。
車は途中渋滞にはまり、帰宅は午後11時近くになってしまいました。
滞在中、小松原さんの案内で 朝5時に車で気仙沼の震災現場を見て、回ったら、何艘もの大きな漁船が焼け焦げていた、
まるで船の墓場のようでした。
次の朝は足を延ばして陸前高田市迄行ってみると、広い範囲が水に流され家の土台もありません。何時間かでこうも
何もかも無くなってしまって、本当に気の毒でなりません。高台にあった家は大丈夫でした。宇都宮のあちこちでは
屋根瓦が壊れブルーシートでおおわれているのに、こちらは縦ゆれの地震のため屋根が壊れなかったようです。
津波がなければ、これほどの被害がなかったのにと、つくずく思います。
山岳連盟救助隊長の森 初芳さんが「雪が降るまでここで頑張る」と言って、地元の人の要望とボランティアの人達
の間で頑張っています。復興までどのぐらいの歳月がかかるか見当もつきません。
年をとっていても山に登っている人は、みんなでやればきっと役にたつ事が出来ます。どうか一人でも多くの人が参加
して下さる事を願っています。
K沼Y子 記
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<5月2日>予定していた気仙沼市内の被災住宅のヘドロ対策ボランティアが延期になり、
危険表示のある石塀の撤去作業を行う。
*写真をクリックすると大きくなります。
危険表示の石塀撤去作業 |
石材の移動作業 |
石材を整理保管する
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石材を敷く割れ瓦の準備 |
危険な石塀を落とす作業 |
石蔵から品物の運び出し
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<5月3日>被災したオートバイ販売店にてガレキの分別撤去ボランティア
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視察で見えられ谷参議院議員と記念撮影 |
ガレキの分別と積込み作業
ガレキの分別作業
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ガレキの分別作業 |
ガレキの分別作業 |
並んで手渡しで運び出し
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分別したガレキを積込む |
ガレキ置き場へ搬送 |
ダンプからガレキを下ろす
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