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「東日本大震災支援ボランテイア第一陣〜第二陣の活動報告」
(栃木県勤労者山岳連盟主催)

日 程  2011.4.2(土)〜4.11(月) 地域 気仙沼市唐桑地区
活動基地 巨釜(ベースキャンプ)唐桑(一関)(国土地理院25000/1)
参加者   第一陣: 県連各会から計29人(延べ151人)
  第二陣: 県連各会から計35人(延べ101人)  
投稿者    K野K博、Y岡M徳 


「東日本大震災支援ボランテイア活動に参加して」  宇都宮ハイキングクラブ K野K博
  
 大津波により無残な姿になった被災地の映像を見て、涙しなかった人は居なかったでしょう。
 私は、昨年5月初旬から東北地方一周の自転車旅行に出掛けました。自宅から茨城県の高萩市に出て、 国道六号線を北上し、仙台から45号線を青森県の大間岬を目指して走りました。テント生活の旅では、 地元の皆さんに教えて頂く情報が頼りです。今回被災された市町村の殆どの地で助けを頂きました。
 その皆さま方の安否を思うと、涙するばかりでした。自分が出来る恩返しは無いかと考え、予定していたスキー、ゴルフ、 旅行等を全て取り止め、予定していた費用を家内と相談して、那須烏山市役所に義捐金として届けました。  

 そんな時ハイキングクラブから、被災地ボランテイアの募集がありました。4月2日早朝に仲間と分乗して 気仙沼市唐桑半島に向け出発しました。途中の高速道路周辺の景色は、屋根瓦のブルーシートが目立つ程度でした。 しかし、道路が波打っており、車が大きくバウンドするので、地震の大きさを感じ緊張感を味わいました。

 気仙沼市に入り、テレビで見た同じ景色が飛び込んできました。車内の誰もが声も出ません。半島に入り海沿いの 集落は凄まじい光景でした。
 野営地は折石近くの観光レストラン「海岸亭」です。このレストランは一部被害を受けましたが、 オーナーのご厚意により、NPO法人及び勤労者山岳連盟のボランテイア基地として提供されたものです。

 その日の午後から車の販売修理店の後片付けに入りました。住まいは跡形もなく、散乱した様々の機械・工具類 の収集と瓦礫の撤去及びそれらの分別作業に従事しました。

                   <1日目>
ベースキャンプに到着して昼食後、入江にある宿浦という部落にて車の販売修理店の後片付けのボランティアを行う。

*写真をクリックすると大きくなります。
障害物移動作業 ガレキの分別作業に入る ガレキの分別作業
ガレキの分別作業 付近の被災状況 付近の被災状況
ベースキャンプに戻ると天井が落ちた海岸亭2階の和室も片付けが済んで綺麗になっていた 炊事場も設置、夕食の準備中 各会グループ毎に夕食(宇都宮班)
野木山想会班の夕食 宇都宮山の会班の夕食
   <2日目>
朝9時にベースキャンプを出発。我々1班は、昨日に引き続き車の販売修理店の後片付けで、午後4時まで何とか目標を達成し、 ご主人から大変感謝された。 2班は鮪立(しびたち)」にてボランティアを行う。
ベースキャンプから現場に到着 ご主人との作業の打ち合わせ クレーン車による障害物撤去 被災車両の移動
 
ガレキの分別作業
 
ガレキの分別作業 ガレキの分別作業 休憩タイム ガレキの分別作業 分別作業がほぼ終了
   その後、小さな漁港にある避難所に集合を命じられました。ヘルメット、防塵マスク、メガネ、足底のしっかりした靴、 飲み水は必需品です。

 港には焼け爛れた大きな漁船が幽霊船のように浮かんでいます。避難所の方々は、私たちを見て驚いた様子でした。 後で聞くと我々の姿を見て、「こんな老人会みたいな人達が・・・」と思ったそうです。

 港に降りると海に屋根が浮かぶ家が幾棟もあります。私たちは、半壊又は全壊した家々の家主から、要望を聞きそれに 沿って活動します。

 津波により破壊された部屋からの家財道具や濡れたとても重い畳の搬出。ご先祖や最愛の旦那様のご位牌。 貴重品の入った金庫の捜査。稀なことではあったが、奥様からの要請により73歳で逃げ遅れたであろう旦那様の ご遺体の捜査等様々な依頼に、集まった山仲間が心を一つにして目的に向かい汗を流しました。
  <3日目>  鮪立地区にてボランティアを行う。昼食後に大半が帰った為、 午後は海水を含んだ畳のズッシリとした重さがこたえる。

                
*写真をクリックすると大きくなります。
鮪立地区避難所にて 鮪立地区被災地へ向う 海に浮かぶ屋根やガレキ
ボランティアに入る準備中 運び出した畳など 運び出した後の内部
途中だが順番待で次の依頼先へ 次の依頼先では土台に残る残材の片付け サッシの搬出作業
 
  
サッシ類の搬出作業
 
周囲の被災状況
 
午前の作業を終える
 
鮪立地区避難所にて昼食をいただく 午後は残った3名で5軒目の片付け作業
   毎日伯母と岸壁に佇む、小学3〜4年生の少女。聞けば、車椅子の義母を助けるため、逃げ遅れた母親が海に浮かぶのを 待って居るとか。
 その心鏡を思うと今でも目頭が熱くなります。遠洋漁業に携わる港町は、多くの方が、半年、1年と家 を空けます。

 残されているのは比較的年配の方が多いのです。自分が大切にしてきた衣服や食器類、子供や孫の写真等が泥にまみれて 見る影もありません。それでも大事そうに泥の汚れを取り、抱きしめながら「有難う」と言う姿に自然の怖さと人間の弱さ、 そして世の無情さをしみじみと感じました。

 2回目は、4月29日から5月5日まででした。今回は、気仙沼市内で浸水した家の汚泥の搬出と室内全般の洗浄が主 でした。何れもリニューアルして再度住みたい方の手助けです。床板を外し、ヘッドランプを付け、腹這いになって砂を 掻きだす人。お勝手、お風呂、トイレ及びドアや窓の洗浄等女性を含め全員で汗まみれ、泥まみれになり取り組みました。

2度の災害地ボランテイアに参加して思った事は、私にはそれなりの動機がありましたが、 多くの方は、心の底から被災地の方のお役に立ちたいとの崇高な精神から参加したのです。

 そして、会員の皆さまの多くの支援の輪は、私たち参加した者の大きな励みになりました。それ以上に皆さまが灯した支援 と言う心の明かりは必ず届いたと思います。

 しかし、私たちがあの大きな災害の中で果たした役割は、浜の砂の一握りかも 知れません。お手伝いさせて頂いた方々は、これから途方もないご苦労が待っているのでしょう。  それを思うと、帰りの車の中では、弾んだ会話はありません。やり遂げたという充実感も湧きません。重石を心に抱えながら 帰途につきます。
 そして、家に着くと、今後も何かの形で支援させて頂きたいと新たな気持ちが芽生えます。

私たちの小さな支援に心から「有難う」と言ってくれた方々の、束の間の笑顔の為にも。

K野K博 記
  <4日目>  今日は、調理担当以外の7名で鮪立地区にて、5軒の被災家屋の片付けを行った。夕食には、アジのタタキと炭火焼を堪能。                 
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被災家屋一軒目の内部
 
被災家主との調整役を務めるMさん 二軒目は大工工機具の搬出
物置から大工工機具を搬出
 
三軒目は家具畳等を運び出す 運び出した家具や畳
 
五軒目も家具畳の運び出し 二階から畳の搬出作業 いただいたアジとイワシ
◆第二陣
<8日目4/9(土)>
 午前中は雨だったが、地元ボランティアの窓口のMさんから要望があり、引越を急いでいる被災家屋2軒の捜し物のお手伝い をすることになった。一軒目は、屋根と床が逆さになった家の中にある「おばあさんの思い出の品」の探索」、二軒目は、 貴重品の探索、タンスの中の物を出して確認

昼頃、海岸亭に戻ったら、第2陣の皆さんが続々と到着。
・栃木労山(30名)・千葉労山(25名)・東京労山(2名)
総勢75名の戦力になった。雨のため午後の活動は中止になり、第2陣の皆さんは残念そうだった。

<4/10(日)9日目>
千葉労山25名は石巻市河北町(北上川河口南側)にてガレキの撤去ボランティアの要請があり、急遽移動することになり、 早朝出発した。
 我々8泊9日班は今日が最終日、今日も午前中に被災家屋2軒片付けと転覆した小型ボートの引き上げのお手伝い、 午後4軒の片付け、撤去、捜し物を午後3時まで目一杯の活動をした後、宇都宮へ帰ってきました。
                
*写真をクリックすると大きくなります。
被災家屋の家具畳等片付け 被災家屋の家具畳等片付け 被災家屋内の貴重品、遺体探索を依頼される
貴重品、遺体探索 貴重品、遺体探索 貴重品、遺体探索
  
貴重品、遺体探索 転覆した小型ボート引き上げ 家屋内の貴重品探索 貴重品探索 家具畳等片付け


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