毎日伯母と岸壁に佇む、小学3〜4年生の少女。聞けば、車椅子の義母を助けるため、逃げ遅れた母親が海に浮かぶのを
待って居るとか。
その心鏡を思うと今でも目頭が熱くなります。遠洋漁業に携わる港町は、多くの方が、半年、1年と家
を空けます。
残されているのは比較的年配の方が多いのです。自分が大切にしてきた衣服や食器類、子供や孫の写真等が泥にまみれて
見る影もありません。それでも大事そうに泥の汚れを取り、抱きしめながら「有難う」と言う姿に自然の怖さと人間の弱さ、
そして世の無情さをしみじみと感じました。
2回目は、4月29日から5月5日まででした。今回は、気仙沼市内で浸水した家の汚泥の搬出と室内全般の洗浄が主
でした。何れもリニューアルして再度住みたい方の手助けです。床板を外し、ヘッドランプを付け、腹這いになって砂を
掻きだす人。お勝手、お風呂、トイレ及びドアや窓の洗浄等女性を含め全員で汗まみれ、泥まみれになり取り組みました。
2度の災害地ボランテイアに参加して思った事は、私にはそれなりの動機がありましたが、
多くの方は、心の底から被災地の方のお役に立ちたいとの崇高な精神から参加したのです。
そして、会員の皆さまの多くの支援の輪は、私たち参加した者の大きな励みになりました。それ以上に皆さまが灯した支援
と言う心の明かりは必ず届いたと思います。
しかし、私たちがあの大きな災害の中で果たした役割は、浜の砂の一握りかも
知れません。お手伝いさせて頂いた方々は、これから途方もないご苦労が待っているのでしょう。
それを思うと、帰りの車の中では、弾んだ会話はありません。やり遂げたという充実感も湧きません。重石を心に抱えながら
帰途につきます。
そして、家に着くと、今後も何かの形で支援させて頂きたいと新たな気持ちが芽生えます。
私たちの小さな支援に心から「有難う」と言ってくれた方々の、束の間の笑顔の為にも。
K野K博 記
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<4日目>
今日は、調理担当以外の7名で鮪立地区にて、5軒の被災家屋の片付けを行った。夕食には、アジのタタキと炭火焼を堪能。
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被災家屋一軒目の内部 |
被災家主との調整役を務めるMさん |
二軒目は大工工機具の搬出 |
物置から大工工機具を搬出 |
三軒目は家具畳等を運び出す |
運び出した家具や畳 |
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五軒目も家具畳の運び出し |
二階から畳の搬出作業 |
いただいたアジとイワシ |
◆第二陣
<8日目4/9(土)>
午前中は雨だったが、地元ボランティアの窓口のMさんから要望があり、引越を急いでいる被災家屋2軒の捜し物のお手伝い
をすることになった。一軒目は、屋根と床が逆さになった家の中にある「おばあさんの思い出の品」の探索」、二軒目は、
貴重品の探索、タンスの中の物を出して確認
昼頃、海岸亭に戻ったら、第2陣の皆さんが続々と到着。
・栃木労山(30名)・千葉労山(25名)・東京労山(2名)
総勢75名の戦力になった。雨のため午後の活動は中止になり、第2陣の皆さんは残念そうだった。
<4/10(日)9日目>
千葉労山25名は石巻市河北町(北上川河口南側)にてガレキの撤去ボランティアの要請があり、急遽移動することになり、
早朝出発した。
我々8泊9日班は今日が最終日、今日も午前中に被災家屋2軒片付けと転覆した小型ボートの引き上げのお手伝い、
午後4軒の片付け、撤去、捜し物を午後3時まで目一杯の活動をした後、宇都宮へ帰ってきました。
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被災家屋の家具畳等片付け |
被災家屋の家具畳等片付け |
被災家屋内の貴重品、遺体探索を依頼される |
貴重品、遺体探索 |
貴重品、遺体探索 |
貴重品、遺体探索 |
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