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平日サークル忘年会・演芸大会

日 程  2011.11.9〜10(水〜木) 山名 薬莱山(やくらいさん
天候       晴れ 宿泊地 やくらい林泉館
主 旨 今回の震災で被害を被った宮城県大崎平野にある由緒ある低山。平日サークル恒例の行事
参加者  CL;T澤敬三 SL;S崎誠一 T橋レイ子、、その他会員26名 計29名
行程 <1日目>
   宇都宮=(東北道)=古川IC=薬莱山登山口・・・薬莱南峰・・・北峰・・・登山口
       =林泉館泊(夜:芸能大会)
<2日目>   林泉館=(東北道)=秋保大滝=白石IC=白石城=宇都宮

(凡例 = 車又は交通機関、 ・・・歩行)交通手段:マイクロバス
投稿者    M木 賢  

  【概 要】
 平日サークル恒例の年間行事。今年は今回の大震災被害地の宮城県中央に位置する伝統の山 薬莱山を訪ねる。  薬莱山は7世紀ごろ東北征伐の鎮守府軍が「東国安泰・万民幸楽」を祈願、当時の流行した疫病の薬草を採取したのが山の名称 と言われている。東北をはじめ関東・北陸からの信者もあった高名な山。500メートルそこそこの低山だが、 大崎平野、西には舟形連峰、東は今回の震災地 東松島(野蒜海岸)、仙台湾も望める展望の素晴らしい山。 当日夜は恒例の大演芸会(フラダンス・カラオケ・個人芸等々、出演強制は一切しません。全部自主出演です。 ご馳走を食べてばかりの人もかなりいます。)を実施、クラブに永年在籍を誇るメンバーのお互いの健康を確認、 明日の友情を確認する有意義な会でした。
薬莱山 遠望 薬莱山は宮城県大崎平野加美町にある、伝統のある低山。 今は開発されスキー場、温泉施設、 ゴルフ場もあり県民に親しまれている。山容が奥日光 男体山に似ているかも? 昔から春の山菜採りの名所でもある。
薬莱山登山口 仙台平野北西に位置する薬莱山登山口。約1時間の登りで頂上、途中706段の階段あり。 頂上は南峰、北峰とあり眺望は素晴らしい。東北鎮守軍がこの辺りを跋扈した時代はどんな風景だったのだろうと想いを馳せる事しばし。
薬莱山々頂にて 薬莱山々頂での集合写真。低山ではあるが大崎平野の独立峰なので展望は最高。 南西に舟形連峰、北には栗駒、そして今回の震災地仙台湾も望める。そして空気が最高。 この仲間メンバーは、例年あまり変わらない。お互いの結びつきに喜びを感じ、お互いの健康と友情を、薬莱山の頂上で再確認。
舟形連峰が電線に挟まれる形でようやく姿を現した。泉が岳、北泉、三峰、蛇が岳と尾根歩きには絶好のコース。特に5月初旬の残雪歩きには絶好のコース。 (本写真は国道より舟形連峰の展望)
 いよいよ平日サークル忘年会恒例の『大演芸大会』です。
 かくし芸と女性陣のフラダンスを紹介します。  
  
←クラブ最高齢者 Yさんの熱演。品格ある語りはまさに絶品でした。
 
  そして腰の痛みをおして参加のSさんの迫力ある熱演に全員拍手。→
Oさんが誰かに何かを食べさせられています。後ろから手を差し伸べているのは女性です。 Oさん迷惑そうな、当惑したような顔ですが?
有志の女性(男が一人?)によるフラダンス。 毎年、この日のために、夏ごろから練習に励んでいます。 練習後のおしゃべりと甘いものが無常の喜びとの事。 しかし毎年踊りの技術は進歩しているかも?
写真をクリックすると大きくなります。
 
麓の小野田町にある薬莱神社。小型ながら、なかなか風格のある神社だ。
   社のいわれを記した大きな、真新しい石碑がありました。あまりにも大きすぎて全体をとらえることは出来ませんでした。 いろんな神社の石碑を見たが、大きさと解説文の詳しさは最大・最高でした。
白石城。伊達正宗の家臣片倉氏の代々の 居城。明治初頭 幕府の廃城命令により 解体されたが、近年木造で再築された。 高速無料化の時代、白石インターで降りてぜひ見物を!
 最後にこの記録の文責 M木賢  (写真一部提供者 S崎誠一)

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